芸能人が「芸能活動」を行うには、様々な方法があります。芸能事務所に所属する方法や、個人事務所を立ち上げ、大手事務所と業務提携をする。
または、全くの個人ですべてを取り仕切る。あの大女優樹木希林さんがそうでしたね。すべて自分でプロデュースし、どこにも属さない女優さんでした。
しかし、そうできるのは、それまでどこかの事務所に所属して、輝かしい実績があるからこそです。
そこで、今回は事務所から「独立」した俳優さんたちのその後に迫ってみたいと思います。
事務所から独立した女優の一覧まとめ!
日々様々なメディアで報じられる中で、私の記憶にあるのは「のん」さんです。結局名前が使用できなくなるなど泥沼状態でしたね。
森七菜
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アーブル→個人事務所(ソニーミュージックアーティスツと提携)
2016年にデビューした森七菜さんは、近年活躍が目覚ましい女優として注目されていました。
しかし、一説によるとギャラの取り分に対して、実母が事務所にクレームを入れたことにより
半ば強引に契約期間満了前に、個人事務所を立ち上げ、代表に実母をおき、ソニーミュージックアーティスツと業務提携する形で独立しました。
しかし、アーブル時代に決まっていた仕事は、多くあったと言われますが、独立したイメージがあまりよくないためか
今後の活動についてはほぼ白紙状態と言われています。今は主にYouTubeにて活動をおこなっているようです。
満島ひかり
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ユニマテ→フリーランス
1997年に音楽グループFolderの中心メンバーとして、デビューし、その後ソロ活動を経て、「ぱれっと」に所属し、その後「ユニマテ」に移籍しました。
その後突如2018年3月1日にユニマテから独立し、フリーランスで今後は仕事をすることを発表。
今まで様々な作品で、その実力を認められ、賞を受賞するなどしているので、今もフリーランスで順調にドラマ出演を行っている。
前田敦子
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太田プロダクション→フリー
2005年にAKB48の中心的メンバーとしてデビュー。その後女優としても活動の幅を広げ、
2012年AKB48を卒業し、2018年に結婚し子供を授かるも、2021年に離婚。今後どうなるのか!?
と、その動向が注目されているさなか、2021年1月1日よりフリーで活動していくことを発表。
女優としても実力を認められ、様々な「女優賞」を受賞した実績があり、フリーとなった後もこんすたんとに
ドラマなどへ出演している。おそらく「子育てとの両立」の面から、フリーへの道を選んだと思われる。
のん
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レプロエンタテインメント→non
2006年に能年玲奈(本名)としてデビューし、NHK朝ドラ「あまちゃん」で世間の注目を浴びるようになる。
しかし、2015年に事務所に無断で「個人事務所」を設立していたことが発覚し、
能年玲奈に演技指導していた女性の「洗脳騒動」も疑われるなど、泥沼の状態となった。そして、今後芸能活動に
「能年玲奈」という名前を使えないようにレプロエンタテインメントが警告するなどしたため、芸名を「のん」に改めた。
しかし、契約満了での退所のはずが、レプロエンタテインメント側は契約がまだ残った状態での退所と判断しており、双方の食い違いが浮き彫りになった。
個人事務所を立ち上げ、仕事も順調にオファーが来ていたが、しばらくすると「白紙」になるなど、裏からの圧力が感じられる。
しかし地道な努力で、企業広告などのイメージキャラクターを務めるなど、独立してからも懸命な芸能活動が認められ、
声優としても「この世界の片隅に」で賞を受賞するなど、その実力は芸能界でも認められている。
田中みな実
TBSアナウンサー→テイクオフ→フラーム
アナウンサーになる前から、ショートムービーの女優を務めたり、雑誌モデルをするなど、小さな活動は行っていた。
そして、5年間TBSアナウンサーとして局アナを務め、その後フリーアナウンサーとなるが、女優業への進出もあり、
その実績も認められ、「新たな挑戦がしたい」と、2020年8月14日現事務所フラームへ移籍。
移籍後も順調に女優業や、アナウンサーとして活動している。
紫吹淳
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宝塚歌劇団→オスカープロモーション→マセキ芸能社と業務提携
1986年に宝塚歌劇団に入団し、2001年には月組のトップスターになる。その後2004年に退団し、女優として活動を行っていた。
しかし、突如2020年8月6日にオスカープロモーションの退所を発表し、8月31日付で退所。
同時に個人事務所「株式会社エヴォリュエ」を設立し、マセキ芸能社と業務提携を行った。
その後は、ドラマへのゲスト出演や、バラエティー番組への出演などでコンスタントに芸能活動を続けている。
オスカーを退所した理由として、社員の入れ替わりが激しく、安定した状態が保たれないことが一因とされ、
多くの退所者が次々に出ることとなる。
岡田結実
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イノセント→オスカープロモーション→Viivo
お笑い芸人岡田圭右の長女として知られているが、1歳から芸能界にて活動を行っている。
そのため、子役の事務所からオスカーへ移籍したが、方向性の違い。から、2020年3月末を持って退所した。
そして、2020年5月19日に新しい事務所に所属したことを明らかにした。
しばらく更新されていないが、兄とYouTubeチャンネルを開設している。特に退所後も問題なく芸能活動を行っている。
忽那汐里
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オスカープロモーション→フリーランス
2006年にモデルとしてデビュー。日系オーストリア人3世として注目を集めた。
女優を目指すために、学校の休みを利用して、日本に来日しオスカープロモーションのオーディションを受けたが、
2019年12月をもってオスカープロモーションを退所し、フリーランスで今は活動している。
しかし、表立った活動は報告されておらず、Instagramは更新されているので、活動の場は主に「モデル」だろうか。
草刈民代
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オスカープロモーション→ワタナベエンターテインメント
日本を代表するバレリーナとして注目されていたが、『Shall we ダンス?』で初出演でW主演を務め注目される。
その後、2009年にバレリーナを引退し、女優業へと移行していった。
個人事務所から2016年2月にオスカープロモーションへ移籍したが、2020年1月6日突如ワタナベエンターテインメントへ移籍した。
その背景にはやはり、事務所の内部事情が関係しているのだろうか!?
しかし、退所後も順調に女優として活躍している。
米倉涼子
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オスカープロモーション→Desafo
1992年に美少女コンテストで、審査員特別賞を受賞し芸能界デビューをした。その後の活動は目覚ましく
2011年には渡米してジャズダンスのレッスンなどを受け、ミュージカルの本場、ブロードウェイで主演デビューし、
彼女の出演するドラマは、必ずヒットするなどかなりのハードワークを強いられていたのか、突如2020年3月31日に契約満了にて退所。
その後は4月3日に個人事務所を立ち上げ、芸能活動を継続している。
長谷川潤
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オスカープロモーション→Isle management
2002年にデビューし、2005年からはファッション誌「ViVi」の専属もモデルとして絶大な人気を誇った。
モデル業だけでなく、タレントとしてバラエティー番組のMCを行うなど活動の場を広げて行った。
2011年に一般男性と結婚し2児の母となるが、自身がハワイで育っているため、子育てはハワイで。と言う思いが強く、
2013年2月から活動の拠点をハワイに移し、生活もハワイへと移ったが、2019年に離婚を経験している。
時期は明らかにされていないが、2020年にオスカープロモーションを退所し、移籍している。
その後の活動はモデルを中心に、雑誌で順調な活躍を見せ、2021年には再婚を発表している。
西内まりや
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ライジングプロダクション→フリー
2006年に福岡で事務所のスカウトを受けデビューすることになる。モデル活動からスタートし、2014年には歌手デビューを果たす。
その他にも女優としても活動を幅広く行っていたが、2018年3月31日付で、事務所を契約満了として退所したが
一説によると、仕事の方針において気に入らない点などがあり、上司を殴ったことが退所の原因とも言われている。
そして、今はフリーとして活動しているが、様々なブランドのイメージキャラクターや、YouTubeチャンネル運営などがおもな活動となっている。
福田沙紀
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オスカープロモーション→フリー
2004年に美少女コンテストの「演劇部門賞」の受賞をきっかけに芸能界デビューをし、2005年には歌手デビューもしている。
順調な女優人生を歩んできたが、2020年8月31日付けでオスカープロモーションを退所しフリーとして活動を始める。
フリーになり映画やドラマにも出演しているが、今の活動の拠点はYouTubeチャンネルにあるようだ。
剛力彩芽
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オスカープロモーション→株式会社ショートカット
2002年に美少女コンテストに応募するも、2次で落選したが、そこでスカウトされ、モデルとして芸能活動をスタートする。
2011年にロングヘアから、思いっ切ってショートカットへイメチェンしたのがよかったのか、その後ドラマなどでも活躍を見せる。
しかし、私生活でも賑わいを見せていた。とある会社の社長とのラブラブな交際ぶりが話題となり、事務所での仕事をドタキャンするなど
問題行動も多かったとされ、2019年のオスカープロモーションの年賀状から剛力彩芽の姿が消えたことが話題となった。
そういった騒動がきっかけか、レギュラーMC1本を除き、仕事が激減していき2020年8月31日付でオスカープロモーションを退所し
個人事務所を設立して移籍した。その後も順調なベースでドラマや映画に出演している。
堀田茜
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オスカープロモーション→トップコート
2009年に美少女コンテストの本選出場をきっかけにモデルとして芸能活動をスタート。
その後「CanCam」の専属モデルを務める傍ら、立教大学文学部を卒業し、バラエティー番組などにも進出していく。
そして女優としても、2019年映画で初主演を務めるなど順調な芸能活動を行っているかのように見えたが
2020年8月31日付でオスカープロモーションを退所しトップコートに移籍。その後も変わらぬ活動を継続している。
栗山千明
【manager tweet】
ドラマ「ラブコメの掟」第2話
本日25時10分〜です!
お楽しみに✨#ラブコメの掟 #tx_kojidan #こじだん pic.twitter.com/ii2JLq6uME— chiaki kuriyama 栗山千明 (@chiakikuriyama_) April 14, 2021
スペースクラフト→フリー
5歳の頃から芸能界に入ったが、モデルとして活動を行い、将来的にもモデルを。と思っていたが、
身長が思ったよりも伸びず、女優へ転身することを決める。その後は、様々なドラマや映画に出演し、視聴者に深い印象を残した。
2020年3月23日に、Twitterを開設するとともに、スペースクラフトを退所しフリーでの活動を発表する。
その後もドラマに出演し、スペースクラフト時代からJAバンク三重のイメージキャラクターを継続して務めている。そのため、円満退所だったことがうかがえる。
小雪
先週につづき、奥さまの吐露が切なかった第21話でしたฅ^◞‸◟ ^ฅ#きょうの猫村さん #小雪 https://t.co/7j73SOlu79 pic.twitter.com/BIk8YfOykG
— きょうの猫村さんドラマ公式Blu-ray・LINEスタンプ発売中ฅ^. ̫ .^ฅ ෆ⃛̑̑ෆ⃛ (@tx_nekomurasan) August 28, 2020
スノー→フラーム
1995年にノンノの読者モデルに応募したことが芸能界入りのきっかけとなり、1998年に女優デビューを果たす。
2000年にはパリコレモデルとして、それ以降も出演を続けている。
officialサイトをみると2000年からの活動が明記されているので、その頃に事務所を移籍したとおもわれる。
私生活では2011年に俳優の松山ケンイチと結婚し、現在3人の子供の母親として、芸能活動と両立している。
ブルゾンちえみ
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ワタナベエンターテインメント→独立フリー
事務所の後輩2人の男性とお笑いコンビ「ブリリアン」を結成し、「ブルゾンちえみwithB」として活動していたが
2020年3月をもって「芸人引退」を宣言し、芸名を本名からとり「藤原しおり」と改め活動の拠点を海外に移そうとしていたが、
コロナの影響もあり、海外へ行くことができず、現在はYouTubeチャンネルの運営と、ラジオDJとして活動している。
いずれ、コロナが世界的に収まれば、イタリアなどへ語学留学をする予定とのこと。
ローラ
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LIBERA→フリー
2007年にデビューし、「ため口キャラ」としてテレビでも人気となったローラ。活動の中心はモデル。
しかし、近年環境問題などに関心を持ち、活動の拠点をロサンゼルスへ移すとともに、2020年6月30日事務所を退所している。
現在はYouTubeチャンネルや、SNSを利用した情報発信や、自身の環境に配慮したブランド設立などを行っている。
神田うの
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スペースクラフト→フリー
17歳でモデルデビューを果たしてから、19歳でバラエティーへも進出するようになる。
その後、タレント活動の傍ら、サングラスや、ストッキングなど様々な商品のプロデューサーとしても活動の場を広げ成功をおさめていく。
そして、2008年5月29日に正式に「UNO KANDA」というブランドを立ち上げバッグなどをプロデュースするようになる。
私生活では2007年10月に実業家と結婚し、1児の母となる。現在は自身の会社経営もあるので、時々バラエティーなどで見かける程度の活動をしている。
事務所から独立した俳優の一覧まとめ!理由やその後など現在は?
男性俳優では、今メディアが騒がしいのは「岡田健史」さんでしょうか!?社長のパワハラなどの問題が取りざたされています。
岡田健史
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スペースパワー→個人事務所設立
2018年に「中学聖日記」で一気にブレイクした岡田さん。それから3年も経ちませんが、飛ぶ鳥を落とす勢いでドラマに引っ張りだこですが、
その陰で今事務所退所をめぐりトラブルの中にあります。問題の中心は社長からのパワハラやモラハラが原因とも言われています。
すでに個人事務所を設立したということですが、この問題は今後どのような進展を見せるのでしょうか!?
ちなみにこの事務所は堀北真希さんなどを発掘し、才能を見いだしてきた事務所ですが、すでに主力となる芸能人がいないため、
事務所存続の危機。とも言われています。
佐藤健
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アミューズ→Co-LaVo
高校2年の時にスカウトされアミューズに所属し、2006年から俳優としてのキャリアをスタート。
その後「仮面ライダー電王」でブレイクし、一気にスターダムにのし上がっていく。
2020年3月18日はYouTubeチャンネルを開設し、順調に登録者数をふやしている。
一方で、2021年3月末日をもってアミューズから独立し、4月1日からはアミューズが出資するCo-LaVoへ移籍した。
特にアミューズともめたとかの退所ではないことは、出資するジム所へ移籍したことからもわかります。
そのため、芸能活動も今まで通り行っています。
神木隆之介
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アミューズ→Co-LaVo
幼い頃に大病を患い、生きている証を残したいと、母が事務所に応募したことから、子役デビューをする。
1995年2歳の時にCMデビュー、1999年にドラマデビューと順調な芸能活動を行ってきた。
活動も幅広く、俳優だけでなく声優として、YouTuberとしての一面を持つ。年齢はまだ30歳前だがすでにキャリアは25年以上のベテラン。
ちなみに佐藤健と同時に事務所を移籍している。移籍後も順調に仕事をこなしている。
藤森慎吾
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吉本興業→フリーランス
2003年に中田敦彦と「オリエンタルラジオ」として、華々しくデビューし、「武勇伝」で一気に人気芸人となる。
その後も歌手デビューや、俳優デビューするなど活躍は目覚ましく、【チャラ男】としてのキャラも定着してきたが、
現在はチャラ男は封印したらしい。吉本工業に所属していたが、先に中田敦彦が退所したことが引き金となったのか
藤森も退所しフリーランスとなり活動している。フリーになってもコンスタントにテレビの仕事をおこないつつ
YouTubeチャンネルを開設するなど、活動の幅をさらに広げている。
中田敦彦
吉本興業→フリーランス
2003年に藤森慎吾と「オリエンタルラジオ」として華々しくデビューし、中田の「武勇伝」を披露するリズムネタで一気に人気に火が付く。
その後も歌手としてデビューをしたり、YouTubeチャンネルを開設し「中田敦彦のYouTube大学」が人気となる。
2019年4月からは青山学院大学経済学部の客員教授に就任している。そして、2020年12月28日をもって藤森と共に吉本を退社。
今は家族と共にシンガポールへ移住し活動の拠点を海外に移している。YouTube大学も人気だが、実業家としての顔を持つので、
現在のところ、日本でのテレビ出演などは特に行っていない。
原田龍二
不明→(株)ブロー
1990年にジュノンスーパーボーイコンテストで、準グランプリ受賞により芸能界デビューをしたが、
その時にどこの事務所に所属していたかは不明だが、今の事務所には活動報告が2010年からしかないので、移籍した可能性が高い。
一時期「不倫騒動」で話題となったが、それを逆手に取り「裸キャラ」が定着し、バラエティー番組などに多く出演するようになった。
謝罪会見での潔さがよかったのだろう。そして、弟も俳優であり、その妻松本明子も笑いのネタとしているので、家族円満であることもうかがえる。
そして「裸」を逆手にとって、YouTubeや、Twitterなどで活動を広げている。
高杉真宙
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スパイスパワー→POSTERS
小学校6年生の時、女の子と間違われスカウトされたが、そのまま芸能界入りすることになる。
その後、若手俳優の登竜門である「平成仮面ライダー」の仮面ライダー龍玄役でブレイクする。
しかし、2021年4月11日にスパイスパワーを退所し、個人事務所を立ち上げた。
退所の背景には「岡田健史」の存在があり、スパイスパワーが推していたのは今まで高杉だったが、岡田がデビューすると、
扱いが変わり、岡田推しへと事務所がシフトしたためと言われている。不信感からの退所だと思われる。
今までの功績があるので、個人事務所を設立しても変わりない芸能活動を行っている。
伊原剛志
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ケイダッシュ→IHARAオフィス
1982年に「ジャパンアクションクラブ」へ入団したことが、芸能界入りのきっかけとなる。
その後俳優としてのキャリアを重ね、順調な芸能生活だったが、2020年1月20日にケイダッシュとの契約満了を機に
個人事務所を設立して、個人のペースで芸能活動を行い並行して、YouTubeチャンネルも開設している。
俳優としての一面と、「雀々や剛々」としての落語家の一面をもっている。
ビートたけし
オフィス北野→T.Nゴン
この移籍は大騒ぎになりましたね。北野武の事務所として活動してきたはずなのに、その看板が退所し、新事務所を設立する。
2018年4月に新事務所を設立しましたが、右腕として社長を務めていた人物への不信感から、事務所を離れる決意をしたそうです。
そして、「オフィス北野」に残された芸人、芸能人たちは、移籍する者や、残留する者様々となり、社長も「たけし軍団」の【つまみ枝豆】が就任し、
社名も【TAP】として、新スタートしました。しかし、たけしさんは個人事務所を設立した時点で、いずれは落ち着いたら、軍団も自分の事務所へ移籍させるつもり。と話していました。
移籍後の活動については、ここで語らなくてもわかりますよね(^^♪
新田真剣佑
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トップコート→アジアン・シネマ・エンターテインメント
2007年にアメリカですでに俳優デビューしていたが、日本では無名だった。しかし、父の千葉真一にテレビ対談で、呼ばれ、
飛び入り出演したことから、日本でも芸能活動を行うようになる。その後、「ちはやふる」で新人俳優賞を受賞するなど鉱石を残すが
海外映画優先に仕事をしたいということで、トップコートを2021年4月円満退社し、父と同じ事務所へ移籍した。
おそらくコロナ禍の影響で、海外での活動は先になりそうだが、移籍後も国内ドラマには出演している。
須賀健太
セントラルプロダクション→ホリプロ
1999年に子役としてデビューし、「ALWAYS三丁目の夕日」で一気に認知されることとなる。
2012年3月をもってホリプロに移籍している。ただいまだに20歳を過ぎても「子役のイメージ」を払拭できないことに悩んでおり
様々な役柄に挑戦して、順調に作品に出演をつづけている。移籍のきっかけはあるマネージャーに出会ったことが転機とされている。
YouTubeチャンネルも開設し、活動の場を広げている。
寺嶋進
「駐在刑事SP 2021」無事にクランクアップしました!期間中最後のパフォーマンスができるよう、毎日現場を作ってくださったスタッフの皆さん、出演者の皆さん!本当にありがとうございました。
今回の駐在刑事、これまでとはヒトクチ違った最高の作品になってますよ! pic.twitter.com/DucbqQY2ZF— 寺島 進 -OFFICIAL- (@Terajima_JME) April 28, 2021
オフィス北野→ジャパン・ミュージックエンターテインメント
松田優作監督の「ア・ホーマンス」で1984年に芸能界デビュー。映画中心に活動していたが、【北野映画】の常連となり、
2005年「富豪刑事」への出演を機に、テレビへの出演も増え始めた。
しかし、「オフィス北野」の騒動のさなか、2018年11月30日をもって退社し、新事務所へ移る。
その後も順調に俳優としての活動を続けている。
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元ジャニーズで退社や脱退した人一覧!退所後から現在までで成功したのは誰?
まとめ
・森七菜個人事務所を設立(金銭トラブル)
・満島ひかりフリーランス
・前田敦子フリーランス(子育てとの両立のため!?)
・のん個人事務所を設立(事務所に無断で個人事務所設立からトラブルへ)
・田中みな実新たな挑戦をするためフラームへ移籍
・紫吹淳個人事務所でマセキ芸能社と提携
・岡田結実Viivoへ移籍
・忽那汐里フリーランスへ
・草刈民代ワタナベエンターテインメントへ移籍
・米倉涼子Desafoへ移籍
・長谷川潤Isle managementへ移籍
・西内まりあフリーランス(事務所内トラブル!?)
・福田沙紀フリーランス
・剛力彩芽個人事務所設立
・堀田茜トップコートへ移籍
・栗山千明フリーランス
・小雪フラームへ移籍
・ブルゾンちえみフリーランス(芸人引退のため)
・ローラフリーランスへ(活動拠点をニューヨークへ移す)
・神田うの個人事務所設立(実業家として)
・岡田健史移籍先未定(事務所内ドラブル)
・佐藤健Co-LaVoへ(アミューズが出資している事務)
・神木隆之介Co-LaVoへ(アミューズが出資している事務)
・藤森慎吾フリーランス
・中田敦彦フリーランス・実業家
・原田龍二(株)ブロー
・高杉真宙個人事務所設立(事務所への不信感)
・伊原剛志個人事務所設立
・ビートたけし個人事務所設立(前社長への不信感)
・新田真剣佑アジアン・シネマ・エンターテインメント(海外映画出演を視野に入れて)
・須賀健太ホリプロへ(あるマネージャーとの出会いから)
・寺嶋進ジャパン・ミュージックエンターテインメント(オフィス北野からビートたけしが退所したため)
様々な芸能人が事務所を、様々な理由で移籍したり、フリーランスになったりとお伝えしてきましたが、
オスカープロモーションから、一時期退所者が集中したのは、前社長が会長へ退き、娘婿が社長になったことで
経営方針が変わり、辞める社員が多く出たことから、今まで信頼していた社員がいなくなったことで、所属の女優も大量に移籍などする結果になりました。
「オフィス北野」も「ジャニーズ事務所」も同じように社長交代などが移籍のきっかけになることは多くあるようですね。