映画【Fukushima 50】フクシマ50のその後はどうなった?

今年3月6日に公開された映画「Fukushima50」は2週連続首位、3月末には7.2億円という収益を叩き出しています。

 

日本国内はもとより、海外からの評価も高く、1月に行われた東京国際フォーラムでのワールドプレミアでは、世界73の国と地域で公開されることが発表されています。

 

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映画【Fukushima 50】フクシマ50とは?

 

東日本大震災は日本を襲った未曽有の災害でしたが、その中でも想定外の巨大な津波に襲われて原子炉が壊滅的な被害を受けた福島第一原子力発電所の悲劇は、日本中のみならず世界を震撼させた出来事でした。

 

本作は、当時その最前線で指揮を執った吉田昌郎所長と、現場のエンジニアたち、政府関係者や自衛官らの5日間の奮闘を中心に描いています。

 

 

 日本で起きた原発事故ですが、2011年3月11日の震災から5日の間に起こったこと___それは人類共通の危機であった、と認識されているのでしょう。

 

リアルには今なおいろいろな問題・課題は残されていますが、映画と、リアルな“その後”について考察してみましょう。

 

【Fukushima 50】フクシマ50達のその後はどうなった?

 

渡辺謙さんが実名そのままに演じた吉田昌郎(よしだまさお)東京電力福島第一原子力発電所・所長。

 

その表情や声音は見事にご本人のそれを再現しており、一層緊迫した事態を感じさせるものになっていました。

震災後に作られたドキュメンタリー番組や、youtubeなどに残されている多くの動画の中に、彼の言葉は生きています。

 

大阪出身の吉田氏

1955年生まれ

東京工業大学・大学院を卒業後

東京電力に入社

 

一貫して現場を渡り歩き、福島第一原発、第二原発を熟知する立場にありました。その彼が第一原発4度目の勤務に所長として赴任してきたのが震災前年の2010年6月

 

その場面は作中でも描かれています。佐藤浩市さん演じる伊崎は第一原発の当直長。福島の地元採用の職員でしたが、同い年の吉田所長と共に働いてきた仲でした。

 

「また一緒に出来るなぁ」

 

伊崎がそう言って出迎えたことに、吉田所長は明るく「頼むで!」と答えたのです。

 

震災後、福島第一原発の事故処理に追われ、忙殺される中で吉田所長は体調不良を堪えながら職務に邁進していましたが、食道がんがみつかり、同年11月に入院、所長の職務を辞しています

 

医師の所見では、事故直後の放射線被ばくよりも、その状況下におけるストレスが原因ではなかったかと指摘されていますが、

 

2012年には食道癌の手術、そして7月に脳出血で倒れるという状況に見舞われ、2013年7月に逝去されました。

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【福島の、現在から未来へ】

 

作中での葬儀のシーンで、伊崎は弔辞を述べました。

 

『よしやん、俺は…最後まで、お前さんと一緒だった___』

 

立場は違っても、同じ思いで働いていた二人。

 

“伊崎”のキャラクターに関しては、モデルになった人物は存在していますが、キャラクター名は実名ではありません。

 

そして、佐藤浩市さんはあえてご本人ではなく、周囲の方からその人物について話を聞き、人格を形成するよう心がけていったのだとか。

 

そんな伊崎に、吉田所長は手紙を書いていました。『あの時、何が悪かったのか』10m超の津波が来ることを想定できなかった…自然の力をなめていたのだと。

 

それは事実として記録が残されており、対策が不十分であったことは後に十分な検証が行われています。

 

映画の終盤では、吉田所長を見送った伊崎が“現在”の福島の春の桜を見せるシーンがありました。

 

作中の現在___2020年3月10日、福島県富岡町の“夜ノ森”地区の避難指示が解除になったのです。

 

 

 

佐藤浩市さんが撮影を振り返ってコメントしていました。

 

全体の撮影は昨年の1月末に終了していましたが、どうしても本当の富岡町の桜を撮りたくて2か月後に許可を得て帰還困難区域に入って撮影したのだとか。

 

“伊崎”として万感の思いを込めたそのシーンは、佐藤さん自身が納得するまでテイクを重ねた結果、セリフも削ぎ落されていき、たった一言に集約されたのです。

 

『よしやん、今年もサクラが咲いたよ___』

 

まだまだ完全な解除には程遠い富岡町ではありますが、それでも、美しい桜を見ることはできるようになった、という福島で…今なお吉田所長の遺志を継ぎ、事故の後処理に邁進している人たちがいます。

 

この作品は事実をもとにしたエンターテインメント作品です。

 

公開当初から様々な批判もあり「誇張・美化されている」とか「受け入れ難い」という意見もあります。

 

しかし、製作代表の角川歴彦氏は、映画という映像メディアでこの“Fukushima50”語り告ぐことの意義を説いています。

 

まず知ること、そこからドキュメンタリーや当時の記録に思いをはせることが出来るからです。

 

“Fukushima50”製作の発端は故・津川雅彦さんの企画だったそうです。

 

この作品を観ることから、当時を思い出し、そして未来を考える___そんなきっかけになって欲しい、という気持ちが込められた映画です。

 



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