クレイジージャーニーで佐藤健寿が奇界遺産の軍艦島へ内容やTwitter感想は?

 

2018年1月19日発売写真集

“THE ISLAND 軍艦島”

 

その撮影現場となる軍艦島。今回は特別に観光エリアではない、“立ち入り禁止区域”に撮影をされたフォトグラファー佐藤健寿さんとクレイジージャーニースタッフが潜入します。

 

おそらく、佐藤さんの“コネ”あっての撮影となるので、閉山以来、テレビカメラが入るのは初めての区域かもしれません。

 

端島は第二次世界大戦中、アメリカが“軍艦”と間違え魚雷を打ち込んだ。

という都市伝説から軍艦島と呼ばれるようになり、2015年日本で19番目の世界遺産に登録されました。

 

佐藤健寿さんプロフィール

 

【名前】佐藤健寿(さとう けんじ)

【職業】フォトグラファー

(詳しいプロフィールはこちらのページでふれています。ぜひご覧ください。)

 

世界中の“奇界遺産”を独特の切り口で映し出す、今話題のフォトグラファーです。

また“イケメン”フォトグラファーで人気があり、本人が出席する写真集発売イベントはいつも大盛況の様です。

 

そんな佐藤さんが、今回は“初”となる端島(別名:軍艦島)の立ち入り禁止区域へと、長崎市の全面バックアップを受けて撮影に挑みます。

 

1810年~1974年に炭鉱の町として栄えた“端島”

1974年の閉山と共に、最盛期5,300人いた住人もすべてさり、廃墟となりました。

そして、波風にさらされ劣化、老朽化が激しく倒壊の危険が多い、“北側”の接岸は今は禁止されています。

その禁止区域中心に今回は撮影されています。

 

観光地となっている南側ではない部分。果たしてそこにはどんな廃墟が映し出されるのでしょうか。

 

 

佐藤健寿さんの「奇界遺産」の撮影旅で軍艦島を激写!番組内容

 

 

立ち入り禁止エリアとなる北側の入り口に接岸すると、すぐそこは巨大な小中学校です。

7階建てくらいでしょうか。巨大な小学校に最盛期“1200~300人”の生徒が学んでいたそうです。

廃墟となった後は、学校の設備もそのまま残され朽ちています。

 

昭和の教室の面影もまだ少し残っていましたが、授業教材、机や椅子もやはり年月の経過と共に朽ち果てていました。

 

閉山し、住民全員が去ってから40数年。これほどまでに朽ち果て、老朽化してしまうのは、やはり海風と台風の波の影響が大きいと言います。そして、海にぽつりと浮かぶ島なので、崖などは何度も補修作業が繰り返された跡が残っています。

 

そしてその老朽化が一番激しい住居エリアの“30号棟”へ。

一見普通の鉄筋コンクリートのアパートが朽ちているようにみえますが、実は日本で100年以上前に建てられた鉄筋コンクリート住宅となる、大変貴重なたてものですが、一番劣化が激しく、少しでも足を踏み入れれば崩れてしまうため、外観のみの撮影となりました。

 

100年以上前に7階建ての鉄筋コンクリート住宅があったことにも驚き、そして、今ならばその高さがあれば当然設置されているであろう、“エレベーター”がないことにもすこし驚きました。

 

そして、50年前に建てられた21号棟。こちらも30号棟同様に階数はありますが、エレベーターは設置されていないようです。

住居エリアの近くには病院があり、本来は壁一面緑色に塗られていたそうですが、風化が進み今はむき出しのコンクリートとなっています。

 

高さがない建物だからか、内部に入ることができ、当時の医療器具や備品、カルテまでもがそのまま残されていました。

 

炭鉱の町として栄えた端島だからこそ、残っているカルテも“肺”を診ているものが多くありました。

炭鉱で“灰”を“肺”に吸い込む方が多く、灰に痛みを抱えながら働いていた方も多くいたようです。

 

そして、再び住居スペースに戻ると、後期の終わりごろ建てられた“65号棟”が映し出されます。

コの字型をしたアパートで“コ”の中には公園があり、屋上には最盛期200人が通う幼稚園があったそうですが!

 

驚くのは“エレベーターなし”の10階建て。部屋数317室。

その屋上に“幼稚園”があった事

トイレは共同だったようなので、1階にすべてあったのでしょうか・・・

 

それとも、後期に建てられたので、水洗式だったのでしょうか・・・

番組内では1階に共同トイレがあるような雰囲気でしたが、そうなると10階の住民はトイレ事情がとても大変ですよね。

 

この建物はまだ入ることができ、内部には家具や、当時の新聞“ブッチャーVS猪木”の見出しが躍っていました。雑誌や漫画、教科書などもそのまま。まるで突然人がいなくなったような印象を受けました。

 

間取りも公開されていました。

 

 

こちらが65号棟の一般的な間取りで、家族で暮らしていたようです。

そして、島には共有スペースもあり、公園はもちろん、海水を利用したプールもあったようです。

 

そして、亡くなった方を火葬するために“中ノ島”とういう場所が作られ、そこで火葬され遺骨を故郷に持ち帰ったそうです。

 

炭鉱跡地は朽ちてしまい、危険とのことではいれませんでしたが、出口付近に共有の“お風呂”が設置されていました。

灰や、すすで真っ黒になった体を左の浴槽で洗い流し、右の綺麗なお湯がはられた浴槽へ移り、温まって自宅に帰っていたようです。

 

端島には水道設備がないため、船で本土から水が運ばれてくるため、よく水不足になったそうです。

水以外の物は島内に“端島銀座”があり、生活に必要なお店がそろい、警察には木製の牢屋も設置され治安は守られていたようです。

 

以前から軍艦島の存在は知っていましたが、改めて建物の大きさ、そこに人がいた痕跡を見て、日本にはまだまだ教科書に載らない、載せなくちゃいけない歴史がたくさんあるんだと気づかされました。

 

 

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Twitterの感想や意見は?

 

 

 

 

Twitterでの反応も少し取り上げてみました。

やはり、見始めたら興味深くて目がはなせないですよね。

番組では他に“第2の軍艦島”と呼ばれている“池島”についてとりあげていました。

こちらは完全な廃墟ではなく、今も150人ほどが暮らす島です。

 

また、次回機会があれば取り上げてみたいと思います。

 

まとめ

 

  • フォトグラファー佐藤健寿のプロフと軍艦島とは。

 

  • 軍艦島内部は生活がそのまま残されていた

 

  • 番組をみたTwitterの反応

 

近年の廃墟ブームもあり、話題となることが多い軍艦島。

佐藤さんの写真集にてさらに注目されそうですね。

端島(軍艦島)公式HPではツアーなどの案内もあります。

“行きたいけど、今すぐは無理!”な方にはうれしいHPとなっています。一度おとずれてみてください。

 

 

 

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